菜穂さんからいただいた4つの質問に、たきコーチが研究をもとに答える予定の内容です。ライブ前に共有します。
大事にしている姿勢はひとつ。体験は尊重する。でも、その体験から人や神経の状態を決めつけない。
研究で確認されていることと、僕の推測は、印で分けて書いています。
菜穂さんから事前にいただいた回答を受けて、①〜④の話し方を更新しました(次の「事前のやり取りで分かったこと」にまとめています)。
今回お答えするのは、いただいた4つの質問のみです。遠隔作用についての話は、今回は扱いません。
ライブ前にいただいた回答と、たきコーチからの補足です。これを受けて、各質問の話し方を更新しました。
大勢が集まっているのに、会場がまるで誰も息をしていないかのように静かになることがあります。これは、なぜなのでしょうか?
「みんなが一緒に静まる」現象は、実際に測られています。ただ「呼吸が止まった」「全員がリラックスした」とまでは言えません。
「それにかなり近い現象は、実際に研究されています。
クラシックのコンサートで、お客さんの身体の動きを測った研究があるんです。演奏の間や、音が弱くなっていく場面に合わせて、多くの人の動きが小さくなる。研究者はこれを“スティリング・レスポンス”、静まる反応と呼んでいます。」[1]
「菜穂さんに伺ったところ、静かになるのは、お話の最中も、言葉が途切れたあとも、ずっとだそうです。推測ですが、菜穂さんの会場でも、声や沈黙にずっと注意が向いていて、身体を動かすことや、小さな音を出すことが減っている可能性があります。
“神経が止まっている”というより、聞くことに集まっていて、外から見える動きが少なくなっている、という捉え方ですね。ただし、これは会場を測定した結果ではなく、類似する研究から考えた仮説です。」[1]
「それと、会場に入った瞬間に眠くなって、終わった後に目が覚める方もいるそうですね。外から見た“静けさ”は、集中して聞いている状態とも、眠くなっている状態とも、見分けがつきません。今日ご紹介する研究は眠気を調べたものではないので、その理由については、僕からは仮説も含めて言い切れません。菜穂さんの会場で実際に起きていることとして、そのまま大切に受け取っています。」
「もう一つ面白いのは、同じものを聞いている人同士で、心拍数などの変化が似てくる研究もあることです。
ただ、“みんなの呼吸が完全にそろっている”とは限りません。大きなコンサート研究でも、呼吸の速さの変化には同調が見られましたが、吸う・吐くのタイミングまでそろったわけではありませんでした。」[2]
「なので、“息をしていないように感じるほど静か”という体験は、そのまま大切にしつつ、実際に呼吸が止まったとか、全員が同じ神経状態になったとまでは言わないほうがよさそうです。」
コンサートの観客85名の身体の動きを分析した探索的研究です。音楽の静まる場面と、観客の動きの減少との対応を報告しています。ただし、身体の動きが少ないことだけでは、息を止めているのか、緊張しているのか、くつろいでいるのかは区別できません。
11回のコンサートで695名の生理指標(心拍・呼吸・皮膚の反応など)を記録。心拍数、心拍変動、呼吸数、皮膚電気反応に観客間の同調が認められました。一方、呼吸の吸気・呼気のタイミングについては、同調が確認されませんでした。「呼吸数の変化が似る」と「同時に吸って吐く」は別です。
同じ物語を聞いたり見たりすると、参加者間で心拍数の変動が似る現象を報告しています。物語から注意をそらすと、その同調が弱くなりました。「共通の対象への注意」が、身体反応の共通性に関係することを示す材料です。
確認済み類似する場面で、集団の動きや生理反応に共通性が見られること。
推定推測ですが、菜穂さんの会場でも、共通の対象への注意や、声・沈黙に合わせた動きの減少が関係している可能性があります。
不明今回の会場で何が主因なのか、参加者が快適だったのか、眠くなる方がいる理由、呼吸が具体的にどう変化したのか。
これらを今回の観察だけで確定することはできません。
同じ声でも、画面越しに聞くのと会場で直接聞くのとでは、どのような違いがあるのでしょうか?
菜穂さんの「ライブ映像か、会場か」のたとえは、研究でも同じ比較がされています。マイクで音が変わるのは確か。ただ違いは声だけでなく、表情・視線・その場に参加している感覚です。画面越しでも人との反応は起きます。
「菜穂さんの“ライブ映像をYouTubeで見るか、会場に足を運ぶか”というたとえ、僕もかなり近いと思います。実は研究でも、まさに“目の前にいる人”と“ライブ映像に映る人”を比べたものがあるんです。
その前に、マイクの話から。マイクやスピーカー、配信の圧縮を通ると、音そのものが変わるのは確かです。これは音響の話なので、研究を引くまでもなく起きます。ただ、“どの周波数がどう効いているか”は測っていないので、そこは分からない、というのが正直なところです。」
「そのうえで一番のポイントは、僕たちは声を、音だけで受け取っているわけではないことです。
話している人の口の動きが見えると、音声の脳内処理が早まることが実験で示されています。つまり、耳からの情報と目からの情報を組み合わせて聞いているんですね。」[4]
「そして、“目の前にその人がいる”ことと、“画面にその人が映っている”ことにも違いがあります。
実際に向かい合って顔を見る場合と、ライブ映像で顔を見る場合を比べると、視線の向け方や、一部の脳の反応に違いが出た研究があります。なので、“映っている顔が同じなら、神経にとっても全部同じ”とは限りません。」[5]
「推測ですが、菜穂さんの言う“臨場感”の中身は、声だけではなく、“この人が目の前にいて、自分もこの場に参加している”という状況全体を受け取っていることかもしれません。
ただ、オンラインではそれが何も起きない、という話でもありません。双方向のビデオ通話でも、相手に見られているときの自律神経の反応は確認されています。」[6]
「だから、“会場は本物、オンラインは薄いもの”というより、受け取れる手掛かりと、参加の仕方が違うと考えるのが近いと思います。」
音声知覚と脳波の実験で、話者の口の動きなどの視覚情報が、音声処理の早い段階に影響することを示しました。重要なのは、この視聴覚の統合は、対面だけの特権ではないことです。映像でも口の動きを提示できるため、「表情が見えるから会場が必ず上」とは言えません。
対面とライブ映像で顔を見る条件を比較し、対面では顔を見る時間、瞳孔径(ひとみの大きさ)、一部の脳領域の計測信号などに違いが見られました。ただし、これは顔を見合う課題であり、講演の声やノンデュアリティのイベントを調べたものではありません。反応が大きいことは、癒やし・理解・リラックスが大きいことと同義ではありません。
対面、双方向のビデオ通話、単に動画を見る条件を比較。相手の視線が自分に向くときの自律神経の反応は、対面とビデオ通話の両方で認められました。動画視聴でも表情筋の反応は認められています。双方向の通話と、一方向のYouTube視聴は同じ条件ではありません。
確認済み視聴覚情報の統合、対面と映像での一部の反応の違い、双方向のビデオ通話でも起こる対人的な生理反応。
推定推測ですが、会場で声が違って感じられる理由の一部に、マイクを通した音の変化に加えて、音以外の手掛かりや参加状況が関係している可能性があります。
不明マイクを通した音のどの変化が、どの程度効いているか。菜穂さんの会場と配信で、どの条件がどの程度、体験の違いを生んでいるか。
今回の研究からは導けません。
声・音響について補足するなら:比較時には、音量、聞き取りやすさ、表情の見えやすさ、周囲の雑音なども確認対象にしてください。「オンライン」という一つの言葉で、すべての視聴環境を同一視しないことが大切です。
会場ではいつも前の席が人気で、朝早くから並んでくださる方もいらっしゃいます。近くにいるのと後ろにいるのとでは、神経の反応に違いはあるのでしょうか?
菜穂さんの観察では、前と後ろで反応の差はあまりないそうです。研究から見てもそれは自然で、「近いほどよい」ではなく、「その人が無理なく参加できる位置」がある、という話です。
「これは菜穂さんに伺ったら、前と後ろで反応の違いはあまりない、とのことでした。研究の側から見ても、それは自然だと思います。距離が関係する可能性はゼロではないのですが、“前に座るほど神経によい”とは言い切れないからです。
まず考えられるのは、見え方の違いです。推測ですが、その会場で前の席のほうが表情や口元の細かな動きを捉えやすいなら、受け取る手掛かりも変わる可能性があります。先ほどの、見る情報と聞く情報を組み合わせる話ですね。」[4]
「それとは別に、“相手との距離そのもの”も無関係ではありません。人が近づいたときの反応や、心地よい対人距離には、扁桃体という脳の領域が関わることを示す研究があります。」[7]
「なので、推測ですが、近くで参加できることがうれしい方もいれば、少し離れたほうが気負わず聞ける方もいると思います。
前の席が人気なのは大切な観察ですが、それだけでは、近さそのものの効果なのか、もともと菜穂さんのお話が好きな方が前を選んでいるのかは分けられません。
“一番前が正解”ではなく、“その人が無理なく参加できる位置がある”、という案内がよいのではないでしょうか。」
扁桃体(感情や警戒に関わる脳の部位)に損傷のある人の対人距離の特徴と、健康な参加者の近接場面での脳反応を調べた研究です。対人距離の調整に扁桃体が関係することを示しました。
ただし、本人のパーソナルスペースに関わる近さと、イベントの前列・後列の違いは別問題です。この論文を根拠に「前列では扁桃体がこうなる」とは言えません。
確認済み特定の実験条件で、対人距離の調整と扁桃体との関連が報告されていること。
推定推測ですが、今回の会場でも、見え方や心理的な近さ、本人の好みが体験に関係している可能性があります。
不明前列と後列に何らかの差があるとして、それが距離自体によるものかどうか(菜穂さんの観察では、差はあまりない)。
前列の人気には、たとえば「以前よい体験をした人ほど早く来る」という説明も成り立ちます。これは検証されていない代替仮説です。
「前にいる人の体験が強い」だけでは、「前に座ったから強くなった」とは分からない、という因果関係の整理です。前列の人気や体験そのものを否定する話ではありません。
先週、私のことを「クリアでピュア」と言ってくださいましたよね。それは、神経の側から見ると、どういうことなのでしょうか?
菜穂さんの人柄について、僕が受け取った印象の言葉です。「脳波も落ち着いているのでは」という気持ちも込めていましたが、それは測っていない推測。声や表情から印象が生まれる仕組みは研究されています。
「まず正直に言うと、“クリアでピュア”は、菜穂さんとお話しする中で、人柄について僕が感じた印象です。そして、“脳波も人より落ち着いているんじゃないかな”という気持ちも込めていました。
ただ、それは僕の推測で、菜穂さんの脳波を測ったわけではありません。測っていないことは言い切らない、というのが今日の約束なので、ここは“僕がそう感じた”というところまでにしておきますね。」
「神経の話に翻訳するときも、菜穂さんの頭の中を言い当てるより、聞いている僕が何を受け取っているか、から考えるほうが正確です。
人は、話の内容だけでなく、声からも人物の印象を受け取ります。ほんの短い“ハロー”という声でも、信頼できそう、親しみやすそう、といった印象が生まれる研究があります。」[8]
「また、声と表情を別々に受け取るのではなく、組み合わせて相手の感情を判断していることも、実験で示されています。」[9]
「推測ですが、僕にとっては、菜穂さんの声や表情、言葉の間から受ける印象が素直につながって、余分な読み合いを求められる感じが少なかった。その受け取りやすさを、“クリア”と表現したのかもしれません。
“ピュア”という言葉にも、神経が特別に純粋だという意味ではなく、僕にはそういうふうに感じられた、という意味を置きたいですね。
菜穂さんの内側を診断した言葉ではなく、菜穂さんとの間で僕が感じたことを表した言葉です。」
320名の聞き手が、64種類の短い「hello」の声から人物印象を評価しました。非常に短い声でも、親しみやすさや信頼性などについて、聞き手間で一定の共通性がある印象が形成されました。
調べたのは印象の形成であり、「声を聞けばその人の本当の人格が分かる」ことではありません。信頼できそうに聞こえることと、実際に正しいことを話していることは別です。
顔と声の感情表現を操作した実験で、参加者が両方の情報を統合して判断すること、両者の食い違いに関連する脳反応があることを示しました。
ただし、ここから「声と表情に一貫性がある人は、相手の神経を必ず安心させる」とは言えません。本人の心の純粋さや、悟りの有無を測定したものでもありません。
確認済み声から人物印象が形成されること、顔と声の情報が感情判断で統合されること。
推定推測ですが、たきコーチが感じた「クリアさ」には、声・表情・言葉の間をどう受け取ったかが関係しているかもしれません。「脳波も落ち着いているのでは」も、同じく測っていない推測です。
不明菜穂さん本人の脳波や自律神経の状態と、その印象の対応関係(測っていません)。
相手を褒める言葉を、そのまま脳の診断名に変えないことが、説明の信頼性につながります。
時間に余裕がある場合の補足です。4つの質問より優先しません。
Josipovicらの2012年の研究では、経験豊富な瞑想実践者を対象に、「非二元的な気づき」を意図する瞑想などを比較しました。内的・外的な情報処理に関係する脳ネットワーク間の関係が、瞑想条件によって異なることを報告しています。[10]
「非二元的な気づきを扱った脳研究はあります。ただ、それは特定の瞑想課題を行ったときの研究です。
“自我が存在しないことが証明された”という意味ではありませんし、その瞑想課題と菜穂さんのお話を同じものとして扱うこともできません。
今日の会場の話については、まず声や表情、注意、距離といった、確認できるところから考えるのがよいと思います。」[10]
解釈の限界:瞑想中の脳活動の研究、菜穂さんが語るノンデュアリティ、イベント参加者の体験は、それぞれ別の検討対象です。研究上の用語が似ていても、同じ状態を測定していると自動的には扱いません。
たきコーチの解説は各問2〜3分にとどめ、あとは菜穂さんとの対話で補います。時間は目安です。
「今日は神経の言葉に翻訳しに来ました」
菜穂さんの観察 → 解説 → 対話
「声だけでなく、状況も受け取る」を中心に
距離の違いと、個人に合う距離を分ける
菜穂さんの診断ではなく、受け手の体験として説明
新しい大きな話題には入らない
告知時間を先に確保
最後の紹介と挨拶
47分で説明をまとめ、50分には告知へ。大きな追加テーマは別の機会に。
「今日のお話をまとめると、同じ言葉でも、何が見えて、どう聞こえて、どんな関わり方で参加しているかは、分けて考える必要があります。
会場で感じたことを大切にしながら、その理由を一つに決めつけない。オンラインで感じたことも、小さいものとして扱わない。
そして、“静かにならなきゃ”“何か特別なことを感じなきゃ”という参加の仕方にはしなくてよいと思います。
起きた体験は尊重する。でも、その体験から、人や神経の状態を決めつけない。今日はその立場でお話ししました。」
本文の [番号] と対応しています。リンク先は論文の原著ページです。